当時のメンバーに関係ある方が、それぞれスピーチされましたが、
1926年のメンバー、サリー中村哲さんの子息、修さんは、
日本脚本家連盟会員で、山梨県南都留郡鳴澤村から、やって
来られたのです。
とても大きな声で「父はレッド・サム、と言われた音楽家、俳優でも
あり、1926年ターミナル・リーグの優勝に参加、ホームラン王
にもなった、と聞きました」と、大切に保存されていたメダルを
掲げました。「父は1992年、84歳で亡くなりましたが、この会
を報告すれば、さぞ、喜んだ、と思います」。
1933年のメンバー、ケン(憲)中西さんの弟、輝男さんは
2005年にバンクーバーへ行き、朝日の展示会に出会った
初めてルーツを発見した、とうれしそうでした。
1933年のトーナメントの写真も持参され、朝日の帽子も
見せて頂きました。
1926年のメンバー、ロイ西寺さんの娘、中山信子さんは
「女3人姉妹だったので、応援しました。家族応援の
リーダーでした」と、語りました。
数多くの関係者の方々が、日本で暮らしておられるのも
分かり、本当に、有意義な会合でした。
了
コメント