1951年、ニューヨーク・ジャイアンツが、公式戦優勝決定プレーオフの第3戦
で、劇的な逆転さよなら3ランし、ライバルのブルックリン・ドジャースを破った、
ヒーロー、ボビー・トムソン三塁手が、8月16日夜、サバンナ(ジョージア州)
の自宅で亡くなりました。86歳でした。
私の手元に、大リーグの伝説の名勝負、ハプニングを集めた「大リーグ不滅の
名勝負」(1975年、ベースボールマガジン社刊)の本があります。
「こんな歴史があったのか」「あのプレーはそうだったのか」と、若いときから
この本を愛読していました。作者はベン・オーランさん。翻訳したのは、共同通信
の論説委員、宮川毅さん(故人)。
この本の巻頭に、ボビー・トムソンのホームランが出ているのです。
バド・セリグ・コミッショナーは、「ボビーの一打は”メモラブル・モーメント”の
トップに出る、歴史的な偉業だった」と、弔辞を寄せています。
当時、アメリカは、このプレーオフに話題が集中していました。「どっちが
勝つか」は、全米ファンの注目のマト、だったのです。
「世界中が目にし、耳にしたホームラン」と、オーランさんはその情景を描写しています。
まだ、他のプロ・スポーツは未開拓のころ、大リーグがすべて、だった時代です。
1951年は、13・5ゲームものリードをしていたドジャースが独走態勢
だったのに、ジャイアンツの猛烈スパートで追い込み、ついに同率タイ。
3回戦だったプレーオフも1勝1敗。盛り上がる舞台は整って迎えた第3戦。
4-1とリードされていたジャイアンツは1点を返し、救援した、ラルフ・ブランカ
投手から、トムソンが左翼席へたたき込んだのです。
ラジオから流れる「ジャイアンツ優勝!ボビー!ホームラン!」の絶叫は、全米のファンを
興奮させたのはもちろんです。
ボビーは、通算264本塁打していますが、タイトルはなく、(1952年に三塁打1位)
クーパースタウン入りもしていません。しかし、その記念バットは、クーパースタウン
に飾られています。
スコットランドのグラスゴー出身で、「スタテン・アイランド・スコット」という別名
(移民でこの島で過ごした)もあります。
伝説の人、トムソン。ジャイアンツも記念の追悼セレモニーを予定しています。
了
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