4月18日、東京プリンス・ホテルで2月13日、急性出欠性ショックで73歳で亡くなられた、
田村大五さん(元ベースボールマガジン社常務)の「お別れの会」が開かれました。
田村さんとは、かってメジャー・リーグ・ツアーでご一緒したことがありますが、
当時の懐かしい友人たちが各地から駆けつけて、久々さの再会に感激しました。
盛岡から夜行バスで来た吉田俊夫さん、名古屋からは瀬古沢道男さん、
若尾夫妻、京都の橋本秀範さん。みんな、年を重ねましたが、いまでも当時
の若さそのまま、野球を、MLBをこよなく愛する方々です。
「一度は訪ねたい、と思っていた、クーパースタウン野球殿堂へついに行きました」
と、瀬古ちゃん。私は丁寧に行き方をアドバイスしたのですが、無事に往復できて
良かったですね。ツアーのときは、クーパースタウン往復のオプションもあった
のですが、我々はニューヨーク見物の道を選んだので、諦めました。
私も、その後、何度も単身で訪ねましたが、クーパースタウンは町全体が
野球一色で、本当に、何度行っても、素晴らしいし、四季折々の季節の変化
もまた見事な土地です。
若尾さんはもう60歳を超えているのに、シニア野球のメンバーで頑張る
ファイター。その若者に負けまい、という情熱には驚くばかりです。
夜行バスで往復する吉田さんは「東北ではMLBの情報が分からず、
もっと教えてください」と、今もメジャーの話には、目を輝かせている男です。
橋本さんは東京に転勤になりましたが、京都の母校の指導にも熱心な
エンジニアです。
そして、いつもメールで私に教えていただく蓮見晴子さんにも、初めてお会い
しました。黒髪の素敵な美人でメッツをこよなく愛しておられます。「今年も
休暇を取り応援に行きたいのですが、シテイ・フィールド、という名が
どうも気に入らない」と、残念がっておられました。
田村さんの奥様、正子さんもツアーでど一緒した仲間でした。みんなで田村さんに
別れを惜しみました。献花台の中央にその日まで愛飲されていた焼酎のボトル。
遺作の新書「昭和の魔術師」を頂きました。
「本当にあっとう間でした」と、涙ぐむ奥様。田村さんは、亡くなられる夜まで、
最後まで原稿を書き続けていた、と言われました。
ツアーで全員に明るい声でガイドしていた、田村さんの言葉が、今も、耳に残ります。
了
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