このケリー・レストランには、無数のメモラビリアが飾ってありますが、
ケリーが、一番誇りにしていたものは、クーパースタウン野球殿堂入りした
1989年に受賞した「フォード・C・フリック賞」の額、記念写真ではないでしょうか。
壇上に上がり、感謝のスピーチを得意のジョークを交え、参会者を
笑わせたシーンが印象的です。
フリック賞は、その年度のベスト放送マンに贈られるもので、各球場の野球アナウンサー
に取っては、最高の名誉、と言われ、クーパースタウンでは、受賞者の掲額コーナー
もあります。
ガラス額に飾られた、クーパースタウン受賞の日のジャケットには、
デール・ペトロスキー会長の祝賀サインも添えられています。
この写真を見ると、ケリーはもう75歳でしたが、エネルギーに充ち満ちた表情でした。
彼のアナ生活50周年を記念した「スペシャル・デー」は、1994年6月24日に
開かれ、似顔絵入りの特製ピンが配られました。
そのピンも、飾ってあります。
ケリーの息子スキップさん、孫のチップさんと「3代のアナ集合」が実現したこと
があります。1991年5月13日、リグレー・フィールドのカブス対ブレーブス戦。
スキップ・アナは、ブレーブス専属で30年余も務めたベテラン。シカゴ遠征に
同行したときでした。チップ・アナはまだ修行中でした。
スキップさんは、父とは違う描写で親しまれていましたが、惜しくも、
2008年8月3日に亡くなりました。ブレーブス殿堂入りの予定です。
チップ・アナはカブスの他、各球場で活躍中。親子3代の野球アナは、
ケリー一家の誇りなのです。
了
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