ハリー・ケリー・アナは、心臓疾患があり、1987年に、一度、発作を起こし、
治療して一応回復したのですが、なにしろ、超有名人。その生活は多忙を極め、
過労と、ストレスが重なり、ついに倒れたのではないか、と、推察しています。
亡くなったのは、オフの冬に別宅を構えていた(シカゴの冬は寒いのです)
パーム・スプリングス(カリフォルニア州)のレストランで、バレンタインのお祝い会
を行い、食後、ダッチー夫人と、ダンスを始めたとき、突然、倒れ、すぐに
入院、治療をしましたが、意識は戻らず、4日後、帰らぬ人になりました。
あと11日で満84歳の誕生日を迎える矢先でした。
シカゴの葬儀は盛大で、テイクミー・アウト・ツー・ザ・ボールゲームの
オルガン演奏が流れ、シカゴ市民は、みんな、別れを惜しんだ、と、
言われています。
この年、カブス・ナインは喪章を付けてプレー。サミー・ソーサ外野手は
66本塁打した年です。ソーサは1本ごとに、ケリー基金へ献金しました。
2000年、カブスはメッツと帯同、東京ドーム、西武で公式戦をしましたが、
その実況ナマ中継を受けて、ファンは、このケリー・レストランに集合。
シカゴ時間、午前3時45分の早朝に店を開店。1000人ものファンが集合。
店は入りきれないほどの超満員になった伝説が生きています。
セブン・イニング・ストレッチの大合唱で、音頭を取ったのは、ダッチー未亡人でした。
その時の賑やかさの写真も、ここの壁に、飾ってあります。
だから、ケリー・レストランは、永久に、野球ファンとともに生きる店なのです。
了
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