ドジャースはやりましたネ。10月4日。ドジャー・スタジアム。先発・黒田が力投。
救援も完璧。ナ・リーグ1位の勝利数を挙げていたカブスを一方的に破る会心の勝利です。
ドジャースがプレーオフでスィープ勝利は、1963年のワールド・シリーズ、ヤンキース
に4連勝して以来、実に45年ぶりの歴史的な事件です。
この10月4日は、ドジャースにとって、記念デーだったのです。
1955年のワールド・シリーズ、ブルックリン・ドジャースは、10月4日、ヤンキー・
スタジアムで、ヤンキースに2-0の完封勝利。左腕、ジョニー・ポドレス投手が完投。
ドジャースが初めて王座に就いた、忘れられない年なのです。
この日は青空ではなかったのですが、ドジャー・スタジアムは5万6000人で
ぎっしりの超満員。始球式に起用されたのは、その1955年の優勝戦士、
左腕・ドン・ニューカム、デューク・スナイダー外野手の2人でした。
もう数少ない現存するスターに、記念日を飾ってもらおい、ナインを激励
しよう、という狙いでした。
ニューカム投手は中日にも1年間、来日して投げたこともありますし、今は
ドジャースの親善大使、として、社会福祉活動にも参加している黒人です。
ニューカムは、新人王、MVP、サイヤング賞の3タイトルを受賞した最初の
選手です。スナイダーは「公爵」と呼ばれたほどのパワー十分の華麗なスターでした。
ドジャースの通算最多本塁打記録の保持者です。昔を知るファンからは
盛んな拍手を浴びました。
今季は13年連続300万人動員の記録を続けたドジャース。
ラミレスの加入はすごいヒットでしたが、若手起用で内野守備が固まったのも
見逃せません。
4番・ケント二塁手は、年々守備範囲が狭くなり、投手泣かせでした。
幸か不幸か、彼は左ひざの故障で故障リスト入り、若手・デゥイットを二塁に
起用したのが当たり、長期休養していたフーカル遊撃手も再起、プレーオフに間に合った
のが大きい、と思います。予想を超える投手陣の頑張りは、この守備
の良さにあるのではないでしょうか。
了
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