ハッチ賞は毎年1人ずつ選考していますが、頭部動脈瘤手術から再起、見事に首位打者を
取る活躍をした、ジョン・オルルー一塁手(マリナーズで引退)は、1993年の選考です。
右腕がない障害のハンディにも負けず、高校、大学、プロで投げ抜いた左腕、
ジム・アボット投手は、エンゼルス、ヤンキースで力投。大学時代、日米大学野球で
来日、その闘志あふれるプレーを見せたのは、記憶に新しい投手です。1995年に
受賞しました。
完全試合を達成した、ヤンキースのデビッド・コーン投手も、血行障害のハンディを克服
してのピッチングを評価され、1998年、このハッチ賞を受賞しました。
2001年のテイム・サルモン外野手は、「障害を越えて、家族、チームに勇気を与えた」と
表彰文に書かれています。2000年にはジェイソン・ジオンビー一塁手も受賞。レッドソックス
の右腕エース、カート・シリング投手もサルモンと同じ2001年の同時受賞でした。
ジャイアンツの大ベテラン、オマー・ヴィスケール遊撃手は1996年の受賞。今月、足の
手術から再起、40歳を超えても溌剌とプレーしています。
この野球カード・レプリカ額は、簡素ですが、そのカードの下には、受賞を称える
紹介文が書かれ、何故受賞したのか、良く理解できる仕組みになっています。
額の上段、先頭には、ハッチンソン監督のレッズ時代のユニホーム写真が掲げられ、
その左にマントル、右にコウファックスの両輪が並んでいます。
2列目以下は1列6人の編成。36人が並んでいます。今後、受賞者が増えれば、
額を増設する予定です。
ハッチンソン・センターは、さらにガン研究センターの増設工事を進めており、レッドソックス
でガン(悪性腫瘍)手術から再起した、ジョン・レスター投手も、このセンターでの完璧な手術、
リハビリ治療が成功した、と言われています。
この額があるエール・ビル(YALEE)は一番ダウンタウン寄りの場所にあります。
受付で案内を請えば、簡素な案内パンフレットも用意されています。マリナーズの試合観戦に
行く方は、このハッチ・センターへも、足を伸ばしてみて下さい。
隣接するワシントン州立大学の広大なキャンパスは驚くほど。大学野球部の専用球場も
大学敷地内にあります。日程を調べて、観戦することもできます。
シアトルは、じっくりと、時間を掛けて楽しむ町、だと思います。
了
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