何故、カッブが故郷に病院と、ヘルスケア・センターを
建てたのか?父の最初の一言「医師になれ!」が、心の底にあった、
と思います。
彼は、晩年から「故郷の人々の恩返しをしたい」と、考えて
いました。少年時代の友人で外科医だった、スチュワート・ブラウン博士
が、引退してカリフルニアに住んでいたカッブを訪問、「郷里に病院を
建てたい。キミの力を借りたい」と、依頼したとき、カッブは即座に
「私に出来る限りの協力したい」と、10万㌦を寄付(現在では1億円以上)
すぐ病院の建設が始まり、1950年1月22日、24ベッドの病院が完成。
これを第一歩に、カッブ基金を創設。ヘルスケア財団がスタート。
今の規模に拡大されました。
カッブは年俸を投資して株を買い、当時無名だったコカコーラ社に
目を付け、同社が全米規模の国民飲料に成長したため、巨万の富を
得た成功が土台になっています。カッブはその蓄財を寄付し、
ヘルスケア財団の理想施設を作りあげました。
この病院が完成してから10年後に、カッブは世を去りましたが
「私の生涯でこれほどハピーな日はない。障害、病気の人を
少しでも救えれば幸いだ」と、病院完成披露のとき、笑顔をたたえてあいさつした、
と、伝えられています。
父の遺志を忘れず、多くの人たちを救ったカッブの郷里愛。これほど
素晴らしい業績を残した野球人は他に例がないでしょう。地元で、カッブは、
神のごとく敬われているのはいうまでもありません。
了
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