メジャー・リーグの誇る大投手、ノーラン・ライアンを記念して
建設された「ノーラン・ライアン・センター」がテキサス州アービン市
にあります。
交通の不便な土地で、訪ねて行くのは大変ですが、ヒューストンへ
来るチャンスがあれば、偉大な投手の足跡を訪ねるのもいい、と
お勧めします。
ライアンは、1947年1月31日。このテキサス州ルファンジオで
生まれ、すぐに、アービンに移り住みました。ここは、彼の故郷なのです。
テキサスの青空と、広々とした原野、常に暖かい気候の環境で、
ライアンは育ち、アルビン高校時代は、もう、183㌢を超す長身選手。
高校で野球、バスケットのスターだったライアンを、メッツが発見。
月額600㌦の低サラリーで契約。18歳で契約。プロの第一歩を
踏み出しましたが、当初は、いかにも、コントロールがありませんでした。
11歳の少年時代、リトル・リーグでノーヒット・ノーランも経験した
ライアンですが、メッツ昇格へ6年掛かり、やっとデビューした
のは1971年でした。
メッツは「大成するのは無理」と判断しかのか、10勝して、芽が
出かかったライアンをエンゼルスへ放出っしました。
この移籍が運命の分かれ道。エンゼルスは、あれこれ注文せず、
荒削りのライアンを生かし、その剛球を武器に、16年連続10勝。
通算324勝も挙げる大投手に成長させました。移籍が道を開いたのです。
エンゼルス、アストロズ、レンジャースの3球団に在籍。必ずしも強力チームでは
なかったのに、その、故障を知らぬ頑健な体力は、大きな財産でした。
ノーヒット・ノーラン7試合、通算5714三振の大記録は、まさに不滅
でしょう。
このライアンを称える記念館は「アルビン・コミュニテイ・カレジ」の
大学キャンパスの敷地内にあります。大学は、故郷の英雄、ライアン
の偉業を後世に伝える目的で、ノーラン・ライアン財団と共同で
建設。学生が科学的研究する施設を併設、オープンさせました。
だから、普通の殿堂、博物館ともやや違います。
ここへ、どうやってたどり着くか、次回にお知らせしましょう。
了
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