与那嶺さんは、「日本プロ野球で生きる場所を見つけた以上、4つの目標を立てた」
と聞きました。
①ユニホームは40年間着たい②監督になって優勝する③野球殿堂入りする
④天皇陛下に一度お目にかかりたい。
この目標を胸に秘めて、行動したのです。①の目標は38年間で終わりました。
あと2年間、プレーできないことはなかった、のですが、これは「殿堂入りをなし遂げる
ためには、現役引退後5年経たないと、投票資格ができない、と知ったので、
それでは引退しよう、と決心したから」、だと言います。
念願の優勝は中日で果たし、野球殿堂入りも、王貞治監督とともに表彰されました。
最後の「天皇陛下にお目にかかりたい」願いは、殿堂入りした1994年、功労者
叙勲でついに拝謁の機会を得ました。
後楽園球場に、昭和天皇、皇后両陛下をお迎えした天覧試合、1959年6月25日、
巨人対阪神戦は、長嶋茂雄三塁手のサヨナラ本塁打、の劇的幕切れでしたが、
与那嶺はセンターのポジションで、貴賓席の陛下を、じっと仰ぎ見ていました。
すべての願いが叶った与那嶺さんは、ハワイ生まれのジェーン・ミツコ夫人と
故郷で穏やかな暮らしを楽しんでいます。時々は来日します。
両親はともに移民。父・マッサイさんは沖縄から、母・キクエさんは広島出身。
両親はサトウキビ畑で1日、14時間も働き、息子を育てました。
私たちが取材していて良かったのは、与那嶺さんは、メディアに親切だった、ことです。
後年、聞いたのですが「アメリカでは担当記者を大事にする。彼らを敵に
回すな、が私の信条だった」との理由でした。
これは、日本人ではない感覚ですね。
いつも、眼鏡の奥の柔らかな微笑、”ウォーリー・スマイル”が思い出されます。
私たちは、いつも、愛称「ウォーリー」で呼びかけていました。
了
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