ホノルル空港のガラス展示は、高さ1㍍の木枠の台座に、四角形の高さ2㍍の
ガラスで囲まれ、前後左右から眺められます。
左側には、巨人時代の背番号「7」のユニホーム。Y&Gの黒帽子、西武コーチ時代の
「87」番のユニホームが飾られています。1954年に打率・361で初の首位打者に
輝いたときのトロフィー。1000試合出場記念楯、1957年、3度目の首位打者、
外国人選手初のMVPに選ばれたトロフィー。すべて、与那嶺の栄光を示すものです。
アメフト時代のプレーぶりと、「破壊的」とまで言われた、その激しい走塁は、日本野球に
革命を起こすものでした。その写真が、与那嶺を物語ります。
右側には、巨人を去り、ライバルの中日入り、現役で2年間プレーしたあと、
1972年に中日監督に就任。3年目で初優勝したときの、背番号「37」の
ユニホームが目に付きます。これが中央に飾られています。
37番は、サンフランシスコ49ERSで付けて由来のあるナンバー。巨人
時代の「7」から去る、新スタートの意味もあったのです。
セ・リーグ優勝の写真と、「おお、我らが中日ドラゴンズ」のレコードが下に
添えられていました。
37番の後ろ隣にある「1番」のジャージーは、2002年、大阪ドームで開催
された「アメリカン・ボウル」に来日した49ERSが、8月3日、歓迎レセプションの舞台で
招待した与那嶺を称え、「初めてNFLでプレーした日系選手」と、プレゼントした記念の
ジャージー。49ERSカラーの赤の1番が光り、ゴールドで縁取りされた、特注の1枚。
与那嶺には忘れられないものなのです。
了
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