殿堂入りした方々は、それぞれ、選ばれた感謝のスピーチをします。
今回、ただ1人、故人だったジョー・ゴードンさん(ヤンキース、インディアンス
の二塁手。引退後監督に就任)は娘のジュデイさんが壇上に上がりました。
「父が健在だったら、どんなに喜んだことでしょう。ここが最終の安住の地に
なったことをうれしく思います」と、静かに切り出しました。
ジョーはヤンキースで6回優勝、ワールドシリーズ5回優勝の中心選手。
1942年にア・リーグMVPに選ばれたときは、当時の3冠王(打率・356、本塁打36、
打点137)になった、テッド・ウィリアムス外野手を抑えて当選しました。
テッドはその前年、1941年も最後の4割打者(打率・406)になったときも
次点に泣きました。2年連続の悲運だったのです。
ゴードンも打率・322、18本塁打、103打点の優秀な成績を残していますが、
当時、いかにテッドが全米野球記者会に不人気だったか分かります。
ゴードンは、さらに、インディアンスへ移っても、1948年は32本塁打、124打点を挙げ、
インディアンスのワールドシリーズ優勝のリーダーになりました。
「父はオレゴン大在学当時、体操選手の動きにヒントを得て、アクロバット・スキル
を身に付けました。あるときはバイオリニストのようなワザを見せ、いいゴルファー
でもあり、家庭ではコメディアンも演じました。今日はインディアンスのラリー・
ドビー外野手が殿堂入りしたのと同じ日なのも、何かのエンだと思います」
というエピソードは”ザ・マン”とも言われ、”フラッシュ”というニックネームも
附いたゴードンをしのばせるものでした。
晩年のインディアンス監督時代、タイガース監督、ジミー・ダイクスと、
史上初の「監督交換トレード」された、珍しい歴史を持っています。
表彰式が終わり、殿堂のギャラリー壁に額が取り付けられたとき、
アルファベット順にゴードンが一番先でした。
「いつもここに来れば父と対面できますネ」。ジュデイさんは、そっと涙を
ぬぐいました。
了
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