バッファロー市の「ダン・タイヤー・パーク」球場のメインスタンド3階には、
この球場でかってプレーした功労者の表彰額が掲げてあります。
階段(またはエレベーター)で上がり、ホームプレート裏のスィーツ室入り口の壁(三塁側)
に飾られています。
上段に「バッファロー・バイソンズ・ホール・オブ・フェイム」の白文字表示があります。
中央にバイソンズの球団マーク(赤の大文字Bに黄色と黒の縁取り。右下に白球)
が置かれ、左右に分かれて、白の木枠のガラス・ケースに収められた写真額が
並べられています。金属板に中央に写真を入れ、その下に説明文があります。
すべて年代順の構成です。
左からこの殿堂スタートの1985年から1987年までの3年間は「ザ・アーリー・イヤーズ」
(初期)で22人が配置され、続いて、1988年から1993年までの第2期は23人、
さらに、1994年から2000年までの第4期も23人、2000年以降から現在まで、
となっています。
バイソンズは、選手、監督のすべてが資格あり、としています。
1985年からスタートしたのは、バッファロー地区の野球100周年を記念したもの、と、
あります。
主としてメジャー・リーグで活躍した人物の功労を称えるために設けられ、選考委員会
が候補者を毎年絞って投票。投票数の4分の3得票すれば当選します。
メディア、その他の関係者でもOK。ここを巣立って実績を残し、クーパースタウン
の野球殿堂入りした方も17人もいます。レベルが高く、メジャーに直結している
バイソンズはいかに名門クラブだったか、が分かります。
名監督のほまれ高いコニー・マックは、常にぴたりとスーツで決め、ソフト帽子をかぶり、
88歳で引退するまで50年間も、アスレチックスを率いた、通算3776勝利は最高の
実績です。マックはバイソンズに1890年の1年在籍しました。
もう1人は、ヤンキース黄金時代を作った、ジョー・マッカーシー監督。1914年
から1915年まで2年間、バイソンズにいました。
こうして額を眺めて行くと「ああ、あの人もここにいたのか」と、新たな関心が
沸くではありませんか。
了
しました。
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