ルイビル・バット博物館には、日本人にゆかりの名前
が刻まれています。
チケット売り場への通路左側に、天井までの壁面いっぱい
に使った「ルイビル・バット愛用者」の名前のコーナーがありますが、
この一画に「日本プロ野球選手使用者」のプレートが掲げられているのです。
英語のパネル。上段の説明文には「日本はアメリカに次ぐルイビル・バット
愛用国。この大事な方々を記念して、その歴史を残します」と
黒字に金文字で彫り込まれています。
上段から使用順に名前を読んで行くと、第1号は大毎オリオンズの
ヒットメイカー、と言われた左打者の榎本喜八一塁手。1967年
に発注した、とあります。
さらに、長嶋茂雄三塁手、王貞治一塁手の巨人コンビを始め、
中西太三塁手、山内和弘外野手ら、日本野球の歴史上の
スターばかり。田淵幸一捕手、山本浩二外野手らも。
合計22人です。
かっては、ルイビル・バットは野球人のあこがれのバットでした。
しかし、日本でも優秀なバットが製産され、アメリカへの直接注文は
減り、1972年が最後になった、とされています。
館内はバット製造工場の制作作業もガラス越しに見学
できます。広いショップ。制作工程を説明する、100席の
シアターでビデオ上映もあります。天井はガラス張りで
陽光が差し込み、見学者は明るい展示を回りながら、バット
のすべてを吸収できます。
ベーブルースの愛用したバットは細身の原型が今も
保存され、このレプリカを手に取ることもできます。
初代ルイビル・バットの使用者は4人。ルースの他、
タイ・カッブ、ハンス・ワグナーと並んで、ウォルター・ジョンソン
投手の名前があります。
ジョンソンは416勝の輝かしい記録を残した大投手ですが、
通算24本塁打、1925年に打率・433、1927年には打率・348。
この2年はいずれも2本塁打している好打者でした。
「野手からバットを借りていたのでは打てない。自分に合うバットを選んで、
自分で試合を決めたい」ジョンソンの意気込みが伝わってくるでは
ありませんか。
了
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