カウフマン・スタジアムの1階メイン・コンコースを入ると、
右側のガラス・ケースに「ロイヤルズ殿堂」があります。選考資格は
「ロイヤルズの発展に長年功績があった人物」と、厳しい基準が設け
られているので、ここに表彰されているのは、「なるほど、あの方なら」
と、だれも納得の人ばかりです。
このコンコース107番は、隣の108番通路との間にあり、だれでも、無料
で見学できます。
その中央に、オーイング・カウフマン夫妻の肖像画(油絵)が飾られています。
親しみのある温顔の肖像。カウフマンさんは、1968年に球団拡張で
誕生したロイヤルズの強化に資産を投じ、1985年には、カージナルス
を破り、王座に付くまで成長させた、第1の功労者。
1993年に亡くなられましたが「私が去っても、ロイヤルズは、カンザス市
に残して欲しい。この地方都市に野球文化を残したい」と、オーナーを
退くとき、後継者に託されました。ミューリエル夫人も教育発展の支援を、
と「ミューリエル基金」を創設。このカンザス地域の発展に貢献しました。
このロイヤルズ殿堂は、1986年に創立、現在まで、18人が表彰
されています。
オーナー夫妻の左右に並ぶのは、いずれもロイヤルズで活躍して
きた選手です。2年連続ノーヒット・ノーランを記録した、スティーブ・
バズビー投手、「エイオー」の愛称で人気があった、アモス・オティス
外野手。オリオールズ初の20勝投手になった、ポール・スプリットフ。
そして、背番号「10」が欠番第1号になった、ディック・ハウザー監督
の肖像画が掲げられています。
進行するガンと戦いながら、亡くなる1987年まで指揮を執った、不屈の
闘志が素晴らしく、当時、強くなかったロイヤルズを一度もBクラスへ
落とさない指揮ぶりは見事でした。
ロイヤルズは、1981年、単独チームで日米野球に来日。途中
5連敗して心配されましたが、最後に4連勝、勝ち越して帰国。当時の
シュアホルツGMは、このあと、ブレーブスに招かれ、黄金時代を
作りました。監督の背番号が欠番第1号、とは、いかに、ハウザーの
存在が大きかったか、を示すものでした。
了
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