巨人、中日で、日本プロ野球の発展に力を尽くした
「ウォーリー」与那嶺要さんが、故郷ハワイ・ホノルルの
シニア・ホームで亡くなられました。85歳の生涯
でした。
与那嶺さんの足跡は、多くの記事で伝えられていますから
私は、彼に接した印象を書きたい、と、思います。
ウォーリーの愛称で親しまれた与那嶺さんは、いつも
マスコミには、丁寧に対応してくれました。
だから、あの温顔で優しく話してくれた姿しか記憶にない
のです。後年、語ったところでは「スポーツ記者を敵に
回しては失敗する。味方にする努力が大切」という信条
だった(これはあとで聞いた話ですが)と言われます。
グラウンドで指揮しているときは、すごい闘志を燃やし、
突進した姿とは、まるで違いました。
この野球人生の信念はすごいですね。
与那嶺さんほど、多くの殿堂入りしている方はいないのでは
ないでしょうか。
1994年には、東京ドームの野球殿堂入り、その額も
飾られています。ホノルルのアロハ・スタジアムに
ある「ハワイ・スポーツ殿堂」にも飾られていますし、
ホノルル国際空港の国際線コンコースのゲート近くには
2つの展示ケースの中に「与那嶺個人殿堂」が、観光客に
接しています。
ロサンゼルスの日系博物館には「活躍した日系選手」で
殿堂入りしています。
実働40年間の目標は38年間で終わりましたが、
日本の野球殿堂入り、監督で優勝は果たし
「天皇陛下にお目にかかりたい」念願の夢も、殿堂入り後に
功労者叙勲で陛下に拝謁できました。
酒、たばこもやらず、節制していた、あの顔の色つや
の良かった、ウォーリーの姿しか記憶になかったのに
ついに病に倒れた、とは、残念でなりません。
天国に召されたウォーリーに合掌。
(了)
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