レッズ、タイガースの両リーグで王座に着いた
スパーキー・アンダーソン監督が、4日、カリフォルニア州
サウザントオークスの自宅で亡くなりました。76歳。
1995年、タイガース監督で勇退。「ビッグ・レッドマシン」
で全盛時代を築いたレッズで2回、1984年、タイガース
で1回ワールド・チャンにピンになったのは、大リーグ
でただ1人の栄光です。
2000年にベテランズ委員会の選考で、クーパースタウン
野球殿堂入り。輝く白髪と、眼光鋭い表情が一変する
とき、だれもが引き入れるような笑顔に変わるのが
素敵でした。
レッズ監督に指名されたとき、みんな、「スパーキー?
だれ?」と、無名の存在だったのが、すぐにナインを
まとめあげた、人心掌握術は、真似のできないもの
でした。
選手を乗せるのはうまく、タイガースのカーク・ギブソン
外野手は「彼こそ第2のミッキー・マントル」と持ち上げ、
ワールド・シリーズでは、大活躍させました。
日米野球ではレッズ単独チーム、全米オールスターで
2度来日していますが、全米チームのとき、もう、あと2試合
になった東京ドームのベンチで、私は「一度でいいですから
カービー・パケットをセンターに使ってください」と、直訴した
思い出があります。パケットはツインズ不動のセンターでした。
スパーキーは、にっこり笑って、無言でうなずきました。
先発メンバーを見たら、ずっと右翼手だったパケット
が初めてセンターを守っているではありませんか。
監督は試合後は、何も言いませんでしたが、
目を合わせたとき、にっこり笑った笑顔が、忘れ
られません(この話は以前に紹介したことが
ありますが)。
いや、感激しましたね。何と言う素晴らしい監督か、
と。たちまちスパーキーのファンになりました。
あの優しい表情は、本当に素晴らしい人でした。
ご冥福を祈ります。
了
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