フロリダ・キャンプ巡りを打ち上げ、アリゾナ州へ移動しました。
この朝、3月6日、かっての大スターの訃報が届きました。
ドジャースの一時代を築いた快速のセンター、ウィリー・デービス外野手が
亡くなったのです。現役引退後、ドジャースの社会福祉活動のメンバーだった
のですが、9日朝、カリフォルニア州バーバンクの自宅で亡くなっていたのが
発見されました。享年69歳。
いつも朝食を近所の方がデービス宅に届けていたのですが、
この日の朝、運んだとき、応答がないので、おかしい、と思ったら、ベッドで
亡くなっていたのを発見した、というショックの死去でした。別に事件ではないようです。
訃報を聞いたドジャース・ジョー・トーリ監督は「彼はものすごいスピードで走りまくる。
手がつけられない感じの選手だった。あのさっそうと塁間を駆け抜ける姿が
今も目に浮かぶ」と、急死を惜しんでいました。
1940年4月15日生まれ。ロサンゼルスのルーズベルト高校時代、
陸上短距離の記録保持者。スカウトされてドジャースに入ると、左打ちをマスター、
1969年には31試合連続安打のチーム記録を作り、1963年(ヤンキースに
ストレート勝ち)1965年(ツインズの4勝2敗)の2回王座に着いたときの
メンバーです。
中日ドラゴンズに招かれて1977年の1シーズンだけプレーしていますが、
その快足はまだ衰えませんでした。この年の5月14日、中日球場の巨人5回戦で
7回裏、ランニング満塁本塁打(日本プロ野球で史上2人目)の快挙をやったのは
デービスでした。
右翼フェンスに打球が当たり、跳ね返った打球の返球リレーをくぐり抜け、
疾風のように、ノンストップでホームイン。前の走者は「追い越されるか」と、
恐怖感を覚えたほどのスピードは、その年、36歳の男とは思えないほどのすごさだった、
と語りぐさになっています。
熱心な創価学会の信者で、アメリカ日蓮正宗アカデミーの会員だったので、
ドラゴンズは勧誘に成功しました。
奇人、変人、超人、とも呼ばれ、当時は奇行の多いデービスに、チーム関係者
の気遣いは大変でした。この最後の突然死も、また、デービスらしい
別れではなかったでしょうか。
了
デービス選手のランニング満塁ホームラン。この試合 球場の外野で 観戦していました。中日ドラゴンズ選手を語る会
ミスターデービス ご冥福 お祈り申し上げます
感動を ありがとう 一生 忘れられない プレーです。
宗教研究会(名前検討中
投稿情報: 村石太レディ&マイケル ジャクソン | 2011年9 月30日 (金) 00:26