ディマジオ3兄弟の末弟、ドン(ドミニック)さんが5月8日、亡くなりました。92歳の
高齢でした。肺炎の合併症でマサチューセッツ州マリオンの自宅で息を引き取られました。
3兄弟はみな長生きでしたが、長兄のビンス(ブレーブスなど、ナ・リーグの5球団
でプレー)は74歳で、次兄の有名なジョー(ヤンキース一筋)は85歳で去り、ドンは
一番長生きでした。
3人とも外野手。「ジョーはベスト・ヒッター、ドンはベスト・フィールダー、
ビンスはベスト・シンガー」という歌もあります。大柄な兄に比べ、ドンは小柄で
身長175㌢。体重75㌔。メガネを掛けていたので「リトル・プロフェッサー」とも
呼ばれていましたが、攻守走とも抜群の働きでした。
幅広い好守備のセンターでしたが、サンフランシスコ・シールズ(3A)時代
の1937年には打率・361を記録。翌年、レッドソックス入りしてからは数多くの
打撃記録も残す好打者でした。ドンもレッドソックス一筋です。
1949年に作った34試合連続試合安打は、今もレッドソックス記録で残り、
まだ破られていません。
1951年にも27試合連続安打しているほどの「プレミア・リードオフ・ヒッター」でした。
1番打者ではア・リーグ指折りの選手で、1942年から第2次世界大戦で海軍
で3年間過ごしたブランクがなければ、さらに好成績を残したでしょう。
ベトナム戦争の取材でピュリッツアー賞を受賞した作家、デビッド・ハルバースタム
さんは、2003年に、レッドソックス主力選手の友情と結束を描いた「ザ・チームメイト」
の本を出版していますが、テッド・ウィリアムス左翼手。ボビー・ドーア内野手、
ドンらのお互いに励まし合う姿が印象的に描かれています。
その中で「ドンは引退後もビジネスマンとして成功(プラスティック製造、自動車
部品工業)し、さらに、社会福祉活動、ファン拡大の運動も続けた、数少ない男」と、
書いています。
ファン・クラブの「ボソックス・クラブ」を1967年に自ら創設、その会長になり、
ファン・サポートに力を注ぎ、さらにNFLニューイングランド・ペイトリオッツの基礎を
築いて誕生させたのも、ドンの力でした。
生涯、ボストンを愛し、離れなかったドン。レッドソックスは8日の試合前に
半旗を掲げ、全員で黙祷を捧げました。背番号7は、今はドルー外野手が
受け継いでいます。1995年、レッドソックス殿堂入りしました。
ドンの連続試合安打を阻んだのは、兄のジョー中堅手。1949年8月9日、
ヤンキース対レッドソックス戦でドンのライナーを好捕してノーヒットに
終わった、と言われています。
ついに去ったディマジオ3兄弟。ご冥福を祈りたい、と思います。
了
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