2007年まで楽天のコーチ、フロントだった、山下大輔さんが、ドジャースのマイナー・コーチ
に就任。来春、渡米して指導することが、ドジャースから発表されました。
私は、彼と一緒にワールド・シリーズを取材したことがあります。1989年、オークランド
で行われたジャイアンツとアスレチックスのワールド・シリーズで出会いました。
史上に残る大地震で中断した年です。アスレチックスがホーム2連勝のあと、
第3戦(サンフランシスコ)の試合直前に起きた大地震です。この年の
アスレチックスは圧勝の連続。12日間の中断から再開後、一気の4連勝、
スィープで優勝しました。
エースのデーブ・スチュワートがリーグ、ワールド・シリーズともに2勝してMVPになり、
リッキー・ヘンダーソン外野手が暴れ回ったのは、今も記憶に新しいシリーズ
です。地元地震のショックからか、再開後のジャイアンツは闘志が消え、
無残な大敗でした。
山下さんは温厚な方で、私も、親切に教えて頂きましたが、当時、日本のコーチ
が大リーグ研究に、勉強のために渡米する人もいなかったので、
「将来のために、何かをつかもうとしている熱心さは立派だな」と、感心しました。
山下さんはオークランドの2連戦で帰国し、大地震には、間一髪、巡り会わず、
災難を免れたのです。日本人記者で残ったのは私ただ1人。あとは、カメラマンの方
が1人。本当に心細い地震の中断でした。それ以来、山下さんと大リーグ
は結ばれていたのです。
山下さんは、清水東高校から慶大へ、大洋時代は連続試合ノーエラー
の記録も作った名遊撃手でした。日米大学野球に出場し、ドジャー・スタジアムで
試合したとき、故・アイク生原さん(ドジャース会長補佐)から受けたアドバイスが
忘れられない、と、35年ぶりにドジャースに呼ばれる今、「恩返しをしたい」と言います。
「今こそ、若手に、アメリカン・ドリームを目指す若者に、野球の基礎、基本
を教えたい」という意気込みなのです。英語もOK。コーチ業に何の支障はありません。
彼は、きっといい指導ができる、と、期待しています。
了
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