シカゴに野球博物館を、の運動のリーダー、デビッド・フレッチャーさんは
「この野球博物館は、単なる殿堂にしたくないのです。メモラビリアを展示した
”見てください”というだけでは、後発の博物館として魅力がない。いかに、多くの
野球愛好家の賛同を得られ、年間30万人を超すファンに来ていただけるか、
今、知恵を絞っているところです」。
野球(スポーツ)博物館・殿堂の難しさは、過去の多くの博物館・殿堂が苦心して
いるところです。引きつける展示物がなかえれば、愛好家でも訪ねてこない。
しかし、そればかりでは飽きられ、リピーターが集まらない。ここを、どう開拓するか、
フレッチヤーさんは「成果を見てくれ」と、予言しています。
シカゴ野球博物館のコレクション第1号は、故・ジェローム・ホルツマン氏の
長年収集した書籍、手紙、取材ノート、リサーチ文書を2007年11月28日、
「私の資料はシカゴ野球博物館で生かして欲しい」と、生前、すべての寄贈を受けました。
目下は財団でいかに公開するか、まず「ジェローム・ホルツマン教育リサーチ・センター」
を創設する予定です。
ホルツマン氏は長年、シカゴを中心に活動。82歳まで現役記者でペンをとり、MLB
の公式ヒストリアン第1号として働いていました。
1989年にはクーパースタウン野球殿堂へ、全米野球記者会の投票で
「J・G・テイラー・スピンク賞」を受賞。殿堂入りした名記者です。
「救援投手に光りを」の運動を続け、セーブ賞の新設に努力した功績も
高く評価されています。
ホルツマン文書には、ピート・ローズの野球賭博尋問や、ブラック・ソックス事件の
調書も含まれており、公開されれば、波紋を呼ぶのではないか、と思われています。
一日も早くシカゴ野球博物館の誕生を待っています。
(了)
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