バンミーター町は、観光都市ではないので、適当なホテルがありません。デモイン市か、そ
の隣の西デモイン市には、数多くのホテルが点在しています。特に、西デモイン市なら、
バンミーター町には近いので、ホリデイイン、クォリテイインなら、どれも100㌦以下。どこも
朝食付きで泊まれます。
ボブ少年は、「大リーグへ上がりたい」一心で頑張り、マイナーを半年で通過。1936年には、
インディアンスのマウンドを踏む異例のスピード昇格。ルーキー・シーズンには、「1試合17三
振奪取」の快記録も達成。1940年4月16日の開幕戦、対ホワイトソックス戦でノーヒット・
ノーランの快投を見せ、通算3回もノーヒットノーランを記録しました。
しかし、順風漫歩だったわけではありません。若いころは「三振か四球か」のノーコン投手。
「ボブは”エキストリームリー・ワイルド”な投手」と、まで形容されたほどの荒れ球。
三振奪取王7回、与四球王4回。四球王の4年は、いずれも三振奪取王を取る2冠の年
でした。惜しいことに、制球力が出てきた、1942年から3年半、軍隊(海軍)に召集され、
上り坂の24歳からの3年半を投げなかったことです。このブランクがなければ、300勝利は
確実だったのではないでしょうか。
少年時代に、母・レナさんが「肩を冷やさないように」と、編んでくれた、毛糸のアーム・ウォー
マーが大切に博物館に保存されています。もうぼろぼろの毛糸を見ると、母の愛情がいかに
大きいか、ボブ少年も、母の支えを大事にしていたか、が想像できます。
彼は一本立ちすると「世話になった両親へ感謝を込めて」と、2万5000㌦を贈って、
バンミーター町に住む両親の家を新築。父の農作業用に、と、新しいワゴン車もプレゼント
しました。当時の家族とともに写っている写真も、この博物館に展示されていますが、
もう、古びているその1枚は、みんな楽しそうに笑っている姿が、とても印象的でした。
戦争から戻り、年間最多三振奪取の348個を記録、メジャー新記録を作った1946年は、
26勝もした充実のシーズン。”火の玉””ヒーター””ラピッド”と、呼ばれたのも、この頃
でした。
了
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