ジョージアへ来たら、アトランタ・ブーブスのホーム「ターナー・フィールド」
アトランタ市を訪問したい、と思います。
ブレーブスはボストン、ミルウォーキー、アトランタ、と移転。このターナー・フィールドは
1997年4月4日、カブスを迎えて竣工第1戦を行い、5-4で記念の初戦を飾りました。
1996年のアトランタ五輪メイン会場として建設された陸上競技場を、半年間の
突貫工事で野球場へ改築したものです。
ブレーブスはお隣の「フルトン・カウンテイ・スタジアム」から引っ越して、
以後、専用ホーム球場になりました。
NFLのファルコンズは、フルトン時代の1966年から同居していましたが、
1991年に新設された「ジョージア・ドーム」へ移転しています。
ブレーブスをミルウォーキーから誘致に成功したのは、先代市長、イワン・アレンJ氏。
財政的に行き詰まっていた、ブレーブスを大リーグに無縁だった、南部へ
引っ張りました。「誘致に成功すれば、すぐに、スタジアムを建設する」
公約を掲げて市長に当選。その言葉通りに、わずか1年でフルトン・カウンテイ・
スタジアムを完成させた、行動派の功労者です。
そのアレンさんの名前を記念した「ブレーブス博物館」が、
ターナー・フィールドのセンター後方に建設した、チケット販売センター
ビルにあります。
この博物館は、野球場開幕から4ヶ月後の8月20日、正式にオープンしました。
ブレーブスの歴史や、殿堂入りのスターを展示するだけでなく、青少年の教育ツアーを
常時開催しています。
開館当時、アレン氏は市長を引退していましたが、テープカットに招かれた
とき「ブレーブスの主砲、ハンク・アーロンは南部アラバマ出身。アトランタ
で郷里のファンの前でプレーすれば、さらに活躍できる、と信じて
ブレーブスを誘致し、球場も建設しました。私の決断は間違いではなかった、
と今も確信しています」と、回想していました。
フルトンカウンテイは、ターナー完成後に完全に取り壊され、跡地はターナー球場
駐車場、として使用されています。
了
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