テネシー・スポーツ殿堂で、マッカーバーの次に
紹介したいテネシー人は、ナッシュビル出身の黒人内野手、
ジュニア・ギリアム二塁手。
黒人リーグで最年少内野手、との評判を取り、3A・モントリオールから
ドジャースへ昇格。1953年、ナ・リーグ新人王に輝きました。
100四球、102併殺を記録。軽快な動きのスィッチ・ヒッターでした。
通算1956試合、打率・265、203盗塁を記録。背番号
「19」はドジャースの永久欠番になっています。
タイガース、アストロズ監督を務めた、フィル・ガーナー
もテネシー州東部、ルトリッジ出身。
ニューヨーク・ジャイアンツの強打の一塁手、で有名な
ビル・テリーは、メジャー在籍14年間で3割以上10年も。
1930年は、打率・401で首位打者、MVP。テリーは
ナ・リーグ最後の4割打者でした。
現役引退後も、ジャイアンツ監督を10年間、通算523勝、
ナ・リーグ優勝3回。1954年にクーパースタウン野球殿堂入り。
このテネシー殿堂入りも1968年です。
これほどの活躍をしたのに、クーパースタウン入りが、引退後
18年も後だったのは、ニューヨーク時代、地元記者、と折り合い
が悪く、私生活に触れられるのを嫌がったから、とも言われて
います。その異名は、「メンフィス・ビル」。地元とは関係が
深い存在だったようです。
テネシーの野球の起源は古く、ユニオン・ソルジャー、と呼ばれ
たチームがあった1862年、と言われています。サザン・リーグ
誕生は1885年、1920年代には4都市で黒人リーグが
行われていました。
ここは、年間の祝祭日以外は毎日午前10時からオープン。
アリーナが閉まっているときは、館内に設置されている「テネシー
観光案内所」のドアを開ければ入れます。案内所に駐在して
いるガイドのおじさんはとても親切な人です。
まず、聞いてみるのが一番。きっと収穫があるでしょう。
了
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