マリス殿堂は、マリスがガンで亡くなる1年前、この
殿堂建設の発起人の1人、ジム・マクローリンが
「キミの功績を後世に残したい。郷里の人々に
いつも思い出してもらえるような」と、相談したこと
から始まりました。
「大変有りがたいこと。場所は、ファーゴ市内がいい。
それも、人がたくさん来るところ。入場料など、取らないで
欲しい」と、マリスは承諾。マリス殿堂はスタートしました。
さらに、ノースダコタ州議会は「マリスをクーパースタウンへ」
の決議を採択してバックアップ。建設は、地元民の強い
後押しから生まれたものなのです。
マリスの生まれたのは、お隣のミネソタ州ビビング市ですが、
8歳のとき、このファーゴ市へ、一家は引っ越しました。
だから、故人の遺志通り、ショッピングセンターが、
施設を請負い、入館者なら、だれでも、無料で見学が
出来ます。
マリスは、1985年7月21日、ヒューストンの病院で
亡くなりました。まだ、51歳の若さでした。
引退後、5年で資格の取れる、全米野球記者協会員
の投票では、10年間、ついに、あと一歩及ばず、
無念の落選。その後、ベテランズ委員会の特別選考
も持ち越され、今も、クーパースタウンへの道は
遠いのです。
州を挙げてのキャンペーンが、いつか実る、私も、
応援したい、と思います。この殿堂中央には、ヤンキー・
スタジアムの外野に設けられている「モニュメント・パーク」
と同じ彫像が建てられ、殿堂額が飾られています。そこには
「彼は、まだクーパースタウン入りしていないが、我々は、
彼をヒーロー、と呼ぶ」という言葉が添えられています。
了
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