AT&Tパークの右翼席入り口は「オドール・ゲート」と、名付け
られています。
先祖はアイルランド出身。祖母は、フランス人と結婚。名字
はO’DOULだが、オドールさんはアイルランド系のグリーン
一色で通した。両親は肉屋。生まれも育ちもサンフランシスコ。
戦後すぐ、サンフランシスコ・シールズを率いて来日。戦後の
日本野球に革命をもたらした功労者、です。
日本の東京ドームにある「野球体育博物館」には、オドールさん
の表彰額が掲げられています。
新世紀特別表彰で、2002年1月8日、当選し、このレプリカ額は、
2003年6月13日、都内のアメリカ大使館で当時の
ベイカー駐日大使へ贈呈され、さらに、7月7日、この
AT&Tパークで、ジャイアンツへ、と贈られた。
オドール・ゲートは、そういう歴史的背景がある、のです。
だが、打率・392で首位打者になり、生涯打率・349
の好成績を残したのに、1000試合以上出ていない、
という理由で、未だに、クーパースタウン殿堂入り
していない、悲運のオドールさん。
オドールさんは、1969年12月7日、72歳で亡くなったが、
その墓は、コーマ市(地下鉄バートのコーマ駅からタクシー)
のサイプレス墓地、イーストサイドに眠っています。
現役時代、サンフランシスコ市内、ユニオンスクエアに
作った「オドールの店」は、いつもファンでにぎやか。
右翼ゲートからフェリーへ続く鉄橋も「オドール・ブリッジ」。
74年の歴史を誇る黒塗りの橋です。
オドールさんほど、各地に、その名を残している人は
いない、のではないでしょうか。
了
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