地震翌日の朝、ユニオン・スクエア。公園正面に建つ
ニーマンマーカス、メイシーの2つのデパートのガラス窓は
粉みじんに壊れ、道路にガラスが散乱していたのを見て、慄然と
しました。「もし、あの時間、ここに居たら」。でも、あとで
聞けば、負傷者も死者もいなかった、というので、人の運命は
不思議ですね。
災害は次第に分かり、フィシャーマンズワーフの湾岸地区は被害が大きく、
野球場はコンクリートの亀裂補修、通路修理に時間が掛かる
ことも判明。シリーズは、再び関係者が協議し、さらに3日延期。
10間も空けて再開したのは、10月27日。
アリゾナキャンプ地へ飛び、練習を重ねたアスレチックスに対し、
地元の被害が大きいジャイアンツは戦意を失い、4勝0敗のストレート勝ちで
28日にフィナーレでした。
その前年、ドジャースに4勝1敗で破れたアスレチックスは
「今度こそ」と、すごい盛り上がりだったのでした。
当時は、今と違って、取材記者も少なく、日本から来る記者は
私1人でした。MLBの常連だった、故パンチョ伊東さんも、この年だけは不在。
当時大洋のコーチ、山下大輔さん1人来ていましたが、彼も、
アスレチックスの圧勝で見切りを付け、オークランド・シリーズ終了で帰国。
現地にいたのは、私ただ1人だった、のです。
東部地区の記者も中止決定で引き上げ、ほとんど戻ってきません
でした。だから、再開後はガラガラでした。
海風の寒いキャンドルスティック球場。もう、ここで大リーグ野球は
見られません。サンフランシスコ市内の復旧が進まないままの閉幕。
その後、地震シリーズは起きていません。今のサンフランシスコには
もう地震は跡形もありませんが、災害は突然起きるのです。
その歴史は忘れてはならない、と、思います。
了