その晩はベッドの瓦礫をかき分け、眠るのがやっとでした。
宿がなくなる!とは大変。すぐに近くのホテルを捜し
ましたが、どこも満員。途方に暮れて歩いていたとき、
ユニオン・スクェアからワン・ブロックの場所で発見
したのが小さいホテル「キング・ジョージ」でした。
フロントに行き「宿がなくなってしまいました。泊めて
もられますか?」と、必死に頼むと「今は空いて
いる。食事はできないが部屋はある」と、OK
をもらったときは、やれやれでした。
最初のホテルは、ケーブルカー発着場の前、
「パウェル・ホテル」。とても便利な場所です。
この2つのホテルとも、今も健在。営業しています。
キング・ジョージ・ホテルのフロントには
真っ赤なリンゴがカゴに盛られ、無料サービス
でした。レストランもデパートも停電、閉店のとき
このリンゴは貴重な食べ物でした。
中止の翌日、ユニオン・スクエアの老舗ホテル
「セントフランシス」会議室で今後の会見があり
ました。自家発電の薄暗いホールで、フェイ・ビンセント・
コミショナーは「1週間延期し再開します」と、断固、宣言しましたが
さあまた大変。滞在延長では、所持金は足りないのです。
当時は、携帯電話もまだなく、パソコンもインターネットも
未開の時代。原稿を送るもの、公衆電話でやっとつながり
連絡するしかない苦しさ。会社へ連絡し「経費を送ってください」
と、必死でした。
了
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