ブルックリン・ドジャース時代の看板打者、デューク・スナイダー
外野手が2月27日、カリフォーニアの病院で亡くなりました。
84歳。晩年はメッツ、ジャイアンツに在籍していますが、
ドジャース一筋で、ファンに愛された人気の高いスターでした。
通算407本塁打。1980年にはクーパースタウン野球殿堂
入りしています。
「デューク」(公爵)と言われるように、凛とした花形でした。
ドジャースは、1956年(昭和31年)単独チームで来日
しましたが、スナイダーはこの日米シリーズ19試合で
6本塁打。その片鱗を見せたのを覚えています。
水戸で第6戦が行われたとき、ドジャースの宿舎へ
訪ねると「英語で歓迎、と書いてくれませんか。入り口
に張り出したい」と、ホテルの人に頼まれ、私が書いて
ドアに張り出しました。
彼らは到着すると、「へーイ!」と、笑ってくれました。
スナイダーは白人の貴公子で、にっこりした笑顔が
素敵でした。当時、ドジャースは雲の上の存在で、仰ぎみる
感じでしたが、この巨人たちは、間近で見ると、
気さくな印象でした。
スナイダーのパワーを見たのは、第4戦の札幌。
巨人・堀内、ドジャーズ・アースキンの投げ合いで無得点
のまま迎えた9回表、スナイダーは右中間場外へ決勝
アーチ。その豪快な当たりは消し飛んでゆきました。
ドジャースはこのシリーズ、40本もアーチを連発。
ワールド・シリーズ後、すぐ来日した疲れも見せず、
14勝4敗1分けで帰国しました。
その当時のメンバーの大半はもう亡くなられています。
「デュークはバットだけではない。守備は本当に素晴らしい
ものがあった。当時のニューヨークのセンター・トリオ、
ヤンキースのジョー・デイマジオ、ジャイアンツの
ウィリー・メイズにも負けない男だった」
と、殿堂入りの名アナ、ヴィンス・スカリさんは、追悼
の言葉でした。
了
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