日系博物館の年間入場者は約6万人にもなる、と言われています。リトル東京へ来る方が
寄ってゆくコースが多い、のだと思います。
特集展示で紹介された、日本人選手、日系の選手は多いのです。
名前を挙げて行くと、マウイ島出身で、戦前阪急でプレーした堀尾文人外野手、カウアイ島
から早稲田大学を経て広島鉄道でプレーした杉田屋守外野手、オアフ島
マッキンレー高校から金鯱入りした平川喜代美投手、ヘソ伝と言われて阪急で活躍した
山田伝外野手、ホノルルから明治大学、セネタースでプレーした尾茂田叶外野手、
シアトル出身で名古屋で投げた松浦一義投手がいます。
日本の野球殿堂入りしている若林忠志投手は、7色の変化球を投げる、と伝説
のある名投手でした。
マッキンレー高校から法政大学入り、川崎コロンビアの社会人野球
を経て阪神で投げ、第1回の日本シリーズでは、移籍した毎日のエースで第1戦に先発。
強打の松竹打線を抑える完投勝利。当時42歳でもびくとみしない見事な投球
でした。殿堂入りの翌年、亡くなられました。
ハワイから多数の日系人選手が戦後来日。日本のプロ野球を盛んにしました。
その”ハワイ旋風”の中で、今もファンに愛されているのは、巨人で打点王、日本シリーズ
MVPにまでなった、エンディ宮本外野手でしょう。
本名は敏雄ですが、愛称「エンディ」でみんなに親しまれ、そのさわやかな笑顔が人気
を呼び、「100万㌦の笑顔」とも言われていました。
リトル東京の日本書店、紀伊国屋には現地日系人へ発行している
「羅府新報」が置いてあります。1部40㌣。ロサンゼルス地区全体で発行しています。
スタッフが日本人でくつろげる「ミヤコ・ホテル・ロサンゼルス」は、150㌦
(約1万6400円)で泊まれます。高速インターネットもOK。ドジャー・スタジアム
へ通う基地に便利でしょう。
了
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