シアトル市には「ハッチ賞」の展示額があります。ダウンタウンの「フレッド・ハッチンソン・
ガン・リサーチ・センター」研究所ビルの、ヒューマン・リソース室右手ドアの壁に掲げられて
います。市内から市バス70、71、72番が研究所のビル正面前に停車。(市内は無料
ですが、ここは圏外になるので1㌦50㌣払います。入場は無料)。
この表彰額は、表彰者のサイン入り野球カードを集めた、珍しい額です。
本物の額は、クーパースタウン野球殿堂に収められており、ハッチンソンの出身地、
シアトルで、この野球カード表彰額を公開しているのです。
ハッチンソンは、19歳で、マイナーのシアトル・レイニアーズでデビューした右腕投手。
その活躍を認められ、ターガースに昇格。3年間の海軍兵役のあと、復帰してから、
6年連続10勝以上を挙げ、打者でも4回3割、4本塁打した実績がありました。
ア・リーグ選手会代表にもなった、リーダーシップを買われ、現役引退後は監督に就任、
タイガース、カージナルス、レッズで成績を残し、監督賞も受賞しました。
このレッズ監督当時、のどの腫瘍が発見され、肺ガン、と診断を受けて「すぐに手術を」
と、兄のウィリアム博士が勧めたのに「監督の仕事は投げ出さない。常に死期は
覚悟している。監督の職務は最後までまっとうしたい」と、頑張り抜いた、のです。
1964年11月12日、45歳の若さで亡くなりました。
その不屈の闘志の男、ハッチを記念する表彰が設定されたのは死去の翌年、1965年
でした。
その早い死を惜しんだ兄は、シアトルにガン研究センターを設立。今は、全米1の規模
を誇る、最先端のガン対策センターになっています。
ハッチさんは、故郷シアトル郊外のレントンにある「マウント・オリバー墓地」に
眠っていますが、表彰式は、毎年末、「シアトル年間受賞パーティー」の席上行われ、
ハッチンソン財団が支援しています。墓地には「キミは早すぎた」の碑文があります。
了
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