テッドさんの本には、父上テデイさんの横顔が描かれています。
祖父、祖母は山口県大島郡の出身。同郷の方とともにバンクーバーへ
渡り、市内の日本人街で簡易旅館を経営していた、と、伝えられています。
父・テディさんはバンクーバー生まれの日系二世です。
漁師だった祖父は野球チーム結成を聞いて「せがれを入団させてくれ」と、
宮崎監督に頼みました。テデイ・フルモトは右腕投手として頭角を現し、
レギュラーの座を練習熱心な努力でをつかみました。
「大きく振りかぶり、体をいっぱいに使った躍動的なフォームから、しなる右腕
の繰り出す速球投手だった」と、テッド氏は父のピッチングを描写しています。
まだ、14、15歳の少年チーム、朝日が大人の相手を負かす、という
評判が高まり、日系社会のシンボルにも急成長しました。
結成から4年後には、トップ・チームから5軍まである、下部育成組織も
できあがり、驚くほどの躍進ぶりでした。「やらせて欲しい」と希望する選手は跡を絶たず、
人気はアメリカにも及び、各地へ遠路遠征にも行くまでになり、バンクーバー
のインターナショナル・リーグからも加盟の誘いも来ました。
パウエル球場には、いつも黒山の人だかりでした。
「バンクーバー朝日」の本の表紙には、ワインドアップした投手の
フォームが描かれていますが、これこそ、父・テディさんの勇姿なのです。
テディさんは先発、救援自在の投手で、投げない日は遊撃も守り、
アクロバットな回転守備で沸かせ、さらに、右翼も守り、攻守に
活躍した、看板スターになりました。
テッドさんがこの本を書くに当たり、トロント・スカイ・ドームで行われた
「ジャパン・デー」に集まった、朝日のメンバーと初めて会合しました。
「テディの息子が来た!」と、カナダ各地から長老が集まり、昔話に
時間を忘れた、そうです。その体験記の本なのです。
了
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