ニューヨーク・メッツのホーム「シェイ・スタジアム」も、ヤンキー・スタジアム
と同じように、2008年がラスト・イヤーです。
1964年に竣工。44年の年月が経ったシェイ・スタジアムは老化が目立つため、
目下、シェイ・スタジアム駐車場跡地に「CITI・フィールド」(4万5000人収容)
を建設中です。2009年4月の開幕には、ニュールックを見せるでしょう。
1975年、ジャイアンツがサンフランシスコへ、ドジャースもロサンゼルスへ去り、
ニューヨークには、ナショナル・リーグ球団が2つとも消えてしまいました。
悲しむファンの声を受けて、メトロポリタンを略した「メッツ」が、球団拡張の動きに乗り、
1961年10月16日、シカゴのオーナー会議で承認され、誕生しました。
この新球団作りの後押しをしたのは、ジョアン・ペイソン夫人です。
かって、ニューヨークで「コンチネンタル・リーグ」のチーム創立を計画し、
幻になった「ニューヨーク・メトロポリタン・ベースボール・クラブ」が保有していた
名前なのです。
ペイソン夫人は、NYジャイアンツの株主でした。また、メトロポリタンの
資本グループの1人だったので、この新チーム誕生を受けて
「メッツ、と命名して下さい」と、快く名前の譲渡を協力。
チーム創立関係者をまとめるのに奔走した、弁護士、ビル・シェイ氏
の2人が、チーム誕生の陰の功労者です。
メッツは1981年「功労者の殿堂を創設しよう」と、計画。ペイソン夫人が
その年の殿堂入り第1号になりました。夫人の名前が球場名に付いてもおかしくなかった
のですが、夫人は辞退し、シェイになりました。シェイ氏も、1983年に殿堂入り
しています。ペイソン夫人とともに、1981年の初年度殿堂入りは、ケイシー・
ステンゲル監督です。
メッツは「もう引退する」と、宣言してヤンキースを最後にユニホームを脱いだ
ステンゲル監督を「ニューヨークで新チームの先頭に立つのは、貴方
しかいない」と、三顧の礼で迎えましたが、創立当初は寄せ集めの弱体チーム
でわずか40勝しか出来ず、ステンゲル監督は4年間で退陣。
しかし、老監督の奮闘が、メッツの土台を作りました。
この3人の方のブロンズ胸像は、シェイ・スタジアムの4階、クラブ・レベルの
広いコンコースにある「メッツ殿堂」に飾られています。
了
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