ヨギ・ベラ監督は、1985年4月28日、6勝10敗、最下位に転落して、
ヤンキース監督を解任されました。そのときのジョージ・スタインブレナー・オーナーの
非情な仕打ちに怒り、しばらくは絶縁状態でした。後任にはビリー・マーチン
が4度目の復帰をしました。
この対立関係を修復したのは、ジョー・デイマジオ外野手だった、と、言われています。
当時のスタインブレナーは、我慢も長期展望もないまま、首切りの連続でした。
”魔王”、とまで言われたオーナーの態度に「もう、私は、ヤンキー・スタジアムへは行かない」
と、ベラは断固として決別宣言。
当時、ガンの闘病中だった、ベラの旧友、ジョー・ディマジオ外野手は、やや病状が
持ち直した、1998年春、見舞いに来たオーナーに直訴しました。
「ヨギと和解して欲しい。ヨギがいないヤンキースでは、私は心残り
だ」。オーナーは、タンパの自宅から、ニュージャージーの博物館へ直行。
ベラ夫妻と会い、謝った、と言われています。
1999年1月5日。歴史的な雪解けの日でした。
和解、の知らせに安堵したディマジオは、容体が急変。この2ヶ月後の3月8日、
ハリウッド(フロリダ州)で亡くなりました。84歳でした。
この博物館は、ベラが再び、ヤンキースタジアムへ、オールドタイマーズ・デー
にも復帰するきっかけを作った舞台だった、のです。
このベラ博物館は、月、火の2日間は休館。水ー日は正午から5時まで。
入場料は大人6㌦。同伴の子供には「ヨギ・ベラ自伝」のコミック・ブックがプレゼント
されます。残念なことに、公共のバス、電車の便は悪く、二ユーヨークから車で
30分はかかります。ハドソン川の下をくぐる「リンカーン・トンネル」を抜けて、
ルート3を北上。モントクレアへ。レンタカーか、タクシー利用がベター
でしょう。博物館へ行けば、ベラ夫妻のどちらか、はおられるはずです。
日米野球でも来日したベラは、日本人には親切です。
「みんな元気か」と、笑顔で迎えてくれます。
了
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